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身体性とは何か?その定義と現状:「身体ルネサンス」の街づくり ②

【内容】

  1. 「身体性」の定義と価値

  2. 「見えないものへの配慮」の喪失

  3. 無思考社会化の懸念




1.「身体性」の定義と価値

「身体性」には分野ごとに様々な定義があります。

従来のキリスト教ではほとんど無視され、その流れを汲む西洋哲学分野では、20世紀に入って漸く「身体は我々人間にとっていかなる意味や価値を持つのか?」について議論されるようになります。

直近の認知科学・人工知能分野では、「身体論とは、物理的に身体が存在するか、もしくは存在することによる、効果を論じる問題」とされています

「身体性とは、認知主体の内外で生じる相互作用である」と言うことです。

「外に出る→寒いと感じる→服を着る」のように、人間は実践を通して、外部の環境と相互作用を持つ「身体」によって、知覚や体験を得ることができ、そこから学習することで、高度な知能を獲得・蓄積してきました。一方 AIでは、まだ実現出来ていません。

この「実践・知覚・学習」こそ、人間とAIとの差異と言えます。


2.「見えないものへの配慮」の喪失

ところが脳化社会になった都市では、可視化された情報のみを絶対化しすぎることで、知覚する能力が劣化する傾向があります。これが過剰な可視化社会による「身体性の欠如」です。

可視化を経てパッケージ化された意味を右から左へと情報処理するだけで、たまにその情報処理にそぐわない(バグ的な)他者が現れると、反射的に攻撃するなどの挙動(いわゆる炎上)が起きます。

可視化の名の下に、恣意的に加工・編集された事実の断片ばかりを追う事により、それらの根底に流れている個人や社会のコンテクスト・歴史への思考が失われています。

見えないものへの配慮がなくなり、あたかも「無いもの」として扱う事で、人々の行動はより短絡的になっているのではないでしょうか?

コミュニケーションの起点は「他者のコンテクストを理解する事」にあります。

そして「8割はノンバーバルなコミュニケーション」と言われ、コンテクストを理解するためには、言葉だけでなく、表情や仕草に意識を向ける必要があるのですが、現代の都市生活は、快適・便利で、身体性が欠如し、受動的にしか情報を受け取れない姿勢・状況になっているのです。


3.「無思考社会」化の懸念

あらかじめ他者によって、意味や機能が決定づけられた(=アプリ化された)情報が蔓延すると、一般のユーザーは「自分より専門的な誰か」の手によって加工された安心によって、それがどのようにしてやってきたのかを「考えなくて良い」という状況に慣れてしまっています。

ユーザーの身体の内外の相互作用によって生じる、「実践・知覚・学習」が省略されたコミュニケーションがどんどん加速して、「それっぽい情報」を消費することで、「やってる感」を手軽に仕入れることができるようになっています。

「思考」のアウトソーシングによって、「思考する私」が失われ、急速に「無思考社会」化が進行しています。

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