コンテンツプレイスへの転換の必然性を、商業施設の歴史と変遷から確認したいと思います。近代商業施設は、1957年の「主婦の店・ダイエー」開業に始まったと言われます。中西功氏が「価格破壊」をスローガンにスーパーマーケットを展開したのです。1960〜1970年代には、カラーテレビの本格放送が開始、ニュータウンの開発に伴い、ダイエー庄内SC やイズミヤ中百舌鳥 SCなど、大型スーパーマーケットを核にして多様な店舗が入居する「ショッピングセンター」が増加していきます。1980年代には、「頑張れば報われる」という経済成長神話を背景に、商業施設はますます大型化します。1981年に船橋にそごう百貨店とダイエーとを核にした売り場面積10万㎡の「ららぽーと」が開業します。大規模なスーパーリージョナル型SC の時代です。また単にショッピングをする場から「時間を楽しむ場」へと変化する商業施設の象徴が、1985年にセゾングループが開業した「つかしん」でした。百貨店、映画館、教会、スポーツ施設、多目的ホールを備え「生活遊園地」を掲げて話題になりました。
1990年代に入るとバブル崩壊と冷戦終結を契機に、日本社会の根底にあった政治的・経済的な「大きな物語」が崩壊し、「個性の尊重」が認識されるようになります。商業施設においては「価格志向」が台頭し、1993年に埼玉県ふじみ野市に日本初の「アウトレットモール・リズム」が開業します。また安価な郊外立地とローコスト建築で価格訴求力を全面に押し出す「パワーセンター」などの業態も生まれました。2000年代に入ると、地方や郊外の幹線道路沿いにおける大型ショッピングセンターの開発が一巡し、「ファスト風土」と揶揄されます。同時にコンパクトシティを旗印に中心市街地への都市機能の集約・再編に舵が切られます。まちづくり三法の改正により郊外への開発計画が凍結・見直され、都心回帰が加速します。2003年には森ビルが「六本木ヒルズ」を開業し、「東京ミッドタウン」や「赤坂サカス」など、超都心立地における、超・多機能複合施設の登場です。一方で高度化する消費ニーズへの対応と、地域における新たなローカライズ戦略として生まれたオープンモール・準都心立地・地域密着スタイル提案などを盛り込んだ「ライフスタイルセンター」も生まれます。2010年代になり、東日本大震災を契機として、「絆やコミュニティ」の重要性が再認識されます。合わせてスマートフォンや SNSの登場で、情報の受発信や共感訴求が重要になります。商業施設においてもその役割は商品を売買する場所から、時間を過ごす場所・滞在する場所(サードプレイス)へと変化します。2011年開業の「代官山 T-site 」のように広場や植栽空間、パブリックスペースが充実させたアメニティ性の高い商業施設が増加しました。
このように商業施設は「商品提供」「大型化・品揃え」「時間消費」「価格訴求」「コミュニティ」へと軸足を移し、消費においてはメディアから一方的に発信される「流行」ではなく、一般大衆が発信する「情報への共感」が重視される時代に変化してきました。そしてECの台頭とコロナショックの到来です
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