top of page

都市公園の未来 ⑩ 結局なんのための公園なのか

  • 執筆者の写真: admin
    admin
  • 2022年9月9日
  • 読了時間: 2分

近年の都市公園は、P-PFI や立体都市公園など「手法」の議論ばかりになってしまっています。財政難の中で、とにかく整備・管理コストが必要なことは理解できますが、なんのための公園なのか?次世代の都市公園に誰が何を求めるのか?という根本ニーズが置き去りになっている気がします。これまでの考察の中で「①新たな整備・管理コストの捻出」の他に、コロナ禍に伴う都市のあり方の中で「②新たなユーザー、利用ニーズへの対応」、禁止事項ばかりの公園にしないための「③近隣住民の理解と支えが不可欠」、より上質な環境サービスの提供のための「④公園とテーマパークとの中間的な半主体性、費用分担の容認」、そしてこれらの要因をバランスさせる「⑤柔軟な運営スキルの獲得」などの課題が浮かび上がってきました。

禁止事項の増加、安易な消費行動の浸透、周りと足並みを揃えた行動様式などはいずれも社会が効率化・合理化を追求した結果、陥ってしまっている思考停止状態と言えます。今必要なスタンスは、少し乱暴かもしれませんが、「都市で暮らす作法と工夫:新しい公共のあり方」を考える事と総括できるのではないでしょうか?「都市公園の未来」というテーマは、官まかせではなく、タダ乗りでも搾取でもなく、どのように支えあうのか?という「新しい公共」の教育機会でもあると考えます。

公園は道路や河川のように確たる用途が無い分、最もソフトな公共空間だと言えます。それだけに公園に関わる人たちの民度によって如何ようにでも、整備・運営の方針が設定可能になります。誰も何にも使えない空間にするのか?ショッピングセンターの中庭のようにするのか?あるいは都市のリビングのような場所にするのか?は関係者次第と言えます。

公園はコロナ禍を経て、オンライン1st時代のリアルな都市の価値を方向付ける、大きな存在になると考えます。単に芝生や樹木があるだけでなく、子どもの遊具があるだけでなく、これからの都市のユーザーであるワーカーやプレイヤーの、生活の質を高めるための設えが求められ、その実現・継続のための関係者の理解と支えが不可欠になります。

オンライン1st時代の交感・発信活動は、予定調和的でプレーンなホワイトキューブ環境で行うよりも、自然の変化とともにセレンディピティと感動に溢れた環境の方が効果的です。つまりオープンな都市舞台の方が、高い価値を獲得することが可能です。都市ユーザーが輝き合える機会として、都市公園が成立するとき、「新しい公共」が結晶化して見えてくるのでは無いでしょうか。


 
 
 

最新記事

すべて表示
日本的OSはどのように形成されたのか 日本的OS ④

【内容】 自然との共生から始まった「関係性の思想」 武家の倫理と共同体の協調 二重構造と現代的再評価     1.自然との共生から始まった「関係性の思想」 日本的OS──すなわち「空気を読み、相手を察し、秩序を保つ非言語的な社会システム」は、けっして近代に偶然生まれたもので...

 
 
 
揺れる世界、穏やかな日本“見えない秩序” 日本的OS ③

【内容】 怒りと正義が衝突する世界 なぜ日本は「安定」して見えるのか 日本的OSは“思想資本”になり得るか     1.怒りと正義が衝突する世界 現代の世界は、まさに「揺れている」と表現すべき時代に突入しています。 ウクライナ戦争やイスラエル・パレスチナの紛争、米中による経...

 
 
 
日本的OSとは何か 日本的 OS ②

【内容】 「見えないのに、確かにある」――OSとしての日本文化  「心地よさ・信頼・関係性」――三本柱から成るOS構造 世界が見直し始めた「日本的OS」の価値     1.「見えないのに、確かにある」――OSとしての日本文化...

 
 
 

Comments


Copyright © FIACS, All Rights Reserved.

bottom of page