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戦後日本における立国論の変遷 マンガ立国論 ⑤

  • 3月25日
  • 読了時間: 3分

―― 社会OSとしての立国論 ――

 

【内容】

第1章 戦後日本の立国論は「生き延び方」を更新してきました

第2章 立国論は「人」を扱いきれず、スローガン化しました

第3章 マンガという社会OSが必要とされる理由

 

 

第1章 戦後日本の立国論は「生き延び方」を更新してきました

立国論とは、国家が何を最優先価値として社会を運営するのかを定める、いわば国家の経営思想・社会OSといえます。

戦後日本では、時代ごとに最大の不足やリスクに応じて、この社会 OSが更新されてきました。

戦後直後、日本にとって最優先課題は「生き延びること」でした。

主権は制限され、食糧も産業も不足する中で、平和国家・経済復興国家という立国観が採られました。理念よりも現実対応が重視され、とにかく社会を立て直すことが目的でした。

高度経済成長期には、工業立国・輸出立国という形で、「豊かになること」が国家目標になります。

物質的不足を解消するという明確なゴールは社会を強く動かしましたが、その一方で、公害や過密、文化の軽視といった副作用も生まれました。

1980年代には、技術立国・科学技術立国へと立国論が抽象化されます。

量から質へ、モノから技術へと軸足を移し、「勝てる国」であり続けることが重視されました。しかしこの段階でも、人間の幸福や内面は、立国論の中心には置かれていませんでした。

 

第2章 立国論は「人」を扱いきれず、スローガン化しました

1990年代以降、成長神話が崩れ、情報立国や知識基盤社会といった立国論が掲げられますが、何を目指すのかが見えにくく、国民の実感との乖離が広がります。

立国論は次第にスローガン化し、社会 OSとしての力を弱めていきました。

2000年代には、文化立国や観光立国、クールジャパンといった構想が登場します。

ここで初めて、文化や感性が前面に出てきますが、多くの場合、文化は経済成長の手段として扱われました。

人間の内面や社会の感情を扱う思想には、十分に踏み込めなかったと言えます。

2010年代になると、地方創生や人づくりといった立国論が掲げられ、立国論は経済から人へと軸足を移します。

しかし、「活躍」や「成果」が数値化され、生きづらさや迷いへの応答は限定的でした。善意はあっても、「人間をどう扱うか」という問いに対する思想的な整理は、まだ未成熟と言えました。

 

第3章 マンガという社会OSが必要とされる理由

2020年代に入り、社会は同時多発的な困難に直面しています。

パンデミック、分断の可視化、メンタル不調の拡大、AIによる正解の崩壊。経済でも技術でも、文化を消費財として扱うだけでも、社会や国家は立ち行かなくなっています。

いま社会や国家に突きつけられているのは、「人間をどう扱うのか」という根源的な問いと言えます。

この文脈で見ると、マンガという社会OSは、戦後日本の立国論が初めて、人間の内面や感情、生き延び方を正面から扱う段階に入ったことを示す社会OSだと位置づけられます。

経済立国は生きるため、技術立国は勝つため、文化立国は選ばれるための立国論でした。それに対して、マンガという社会OSは、壊れずに続くための立国論です。

戦後日本の立国論は、「強くなる」ことから始まり、「豊かになる」ことを経て、いま「人間を壊さない」ことへと進んでいます。マンガという社会OSは、この長い思想の更新の、必然的な到達点だと言えます。

 
 
 

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